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2011年5月15日日曜日

戦時中の苦労が蘇る、茂原海軍航空基地の名残

茂原市に今でも現存する、掩体壕をみて来た。
子供の頃からよく目にはしていたが、こうやって間近
で見るのは初めてかも。正面に看板が立っていて、説明文
、、今では市の教育委員会による保存物となっていた。

掩体壕(えんたいごう)
昭和十六年(1941年)太平洋戦争が始まる直前の
9月に木崎、谷本、町保、新小、本小内の約150戸と
東郷小学校及び寺社等が強制移転を命じられ、
茂原海軍航空基地(戦略上は海軍二五二航空隊)の
建設が始まった。基地本部跡はいまの萩原小学校、
兵舎跡は茂原中学校であり、三井東圧化学(株)
東側の約1,000m道路は当時の滑走路跡で、
基地の東端はいま東郷保育所の前の通称海軍道路
と呼ばれている辺りである。
この掩体壕は航空機を滑走路から誘導路を走らせてきて
壕に納め、敵機からの攻撃に備えた壕である。
二十数基築造された中では最大の規模で総面積三六五平方メートル
壕の中の面積二八六平方メートル、高さは最大が六m七十cmある。
戦時中で基地造成の人手が不足していたため、当時の
長生中学校や茂原農学校の生徒、周辺の人達等動員して急いで造った。
築造方法は、土砂を壕の形に盛って転圧して筵や
板を並べ、その上に金網や鉄筋を張ってセメントを流した。
その厚さは30~50cmと均等ではないようである。
また計算通りのセメントが間に合わず後から付け足したのも
観察できる。50余年経った今日、茂原海軍航空基地を
語る数少ない遺跡である。
平成七年八月十五日 茂原市教育委員会



正面からの全景


側面に回って


中は全くの空洞になっているが、現存する中には倉庫として活用されているものもあるようだ。


正面に立てかけられた看板。(説明文)

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